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筆者は塾で小中高生を教えている。老境に入りつつあるデブの男が直面する「現実」というものを伝える。それは子どもを通して見える家族の姿であったり、社会の歪みであったりする。また自分の身体や生活のありさまもまた「現実」だ。「現実」というものを考える人のヒントになればいいと思う。

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  • 02/14/12--20:42: 中東の光と影(66)-つくられた情勢 (chan 1232690)
  • 中東は大国の馬草場にされてきた。戦後その多くが産油国となった。米ソ対立下では大国を後ろ盾にする小競り合いの現場だった。米国は中東の力関係を維持するために王政であろうと独裁であろうとこれと手を組んで利用してきた。
     
     「テロとの戦い」が呼号され米国がアフガンやイラクに戦争を仕掛けてから情勢は変化した。米国式「民主主義」が根付いたわけでも何でもない。眠っていた宗派対立を顕在化させタリバーンを完全な反米勢力にさせた。アルイカイダの親分を始末してもアルカイダ系のテロリストを中東世界に散らばらせただけだった。
     
     米国はベトナム戦争より長く高くつく戦いを強いられて、とうとう引き上げざるを得なかった。アジアのジャングルも中東の砂漠も踏み込んだいじょうなかなか抜け出せない泥沼だった。米国はそれを知るだけに巨費と米国人青年の血を捧げねばならなかった。
     
    そしてまさに引き上げ始めたときに変化は起こった。民衆の反政府運動だ。それは津波のように中東を襲った。だがそれは均等な民衆の政治意識の高まりではない。「打倒軍政」デモはそのことを語っている。ムバラク政権を倒した「エジプト革命」の成功はエジプト軍の中立によって可能だった。
     
     しかし、今では、もう軍最高評議会や選挙で第一党にになったムスリム同胞団にデモの矛先が向けられている。ついこの間感謝された者たちは今ではもう自分たちを縛るものでしかない。30年も辛抱してムバラク独裁を倒してみたが新たにできたものは自分たちにとって桎梏でしかない。若者にとっては「第二革命」が待望されている。
     
     シリアの場合はまったくちがっている。似ているのはフェースブックでデモが呼びかけられているという事実だけだ。シリアのマスコミも世界中のマスコミも作られた情報を垂れ流している面がある。その理由ははっきりしている。米国のCIAやイスラエルのモサドの工作員が資金と武器を反政府勢力に流していることは周知の事実だからだ。しかもシリア軍を離反して作られた「自由シリア」という軍事組織は民衆を弾圧から守るためには動いていない。内部で主導権争いをやっているようだ。
     
     政府軍と反政府軍事組織の戦闘がおこれば民衆もまた標的になる。反政府勢力の指導部は外国の軍事介入を求めている。これはリビアの場合と同じだが、国の中に入ってきてアサド政権をやっつけてくれ、という声に、よし任せておけとばかり軍事介入ができるようには国際法ではなっていない。
     
     この辺の事情をよく知っているロシアがシリア非難決議に反対したのは当然だろうと思う。シリアは今や孤立無援だ。シリアが加わっているアラブ連盟のサウジも反政府勢力を支援している。バンダル王子はそれを堂々と公表している。サウジの王家はシリア人を妻にしている人が多い。どちらもアラブ連盟の中心的存在で仲が悪いわけじゃない。サウジ王家を守ろうとする防衛本能がそういう行動をとらせているのかどうかはわからない。だが米国の強い恫喝が働いているだろう。
     
     大統領のアサドは多くの犠牲が出た責任を取らないといけない。しかし、報じられているシリア情勢には多くの間違いがある。エジプトの民衆運動とは別だ。いずれにせよ中東の民衆は血を流しながら学んでいく。しかも不均等に成長していく。暫定政府を作り、選挙をやって正式の政府つくり、憲法を決めて議会をひらく。米国がそんな米国式「民主主義」をいくら押し付けてもそれをムスリム的に消化するのには長い時間がかかる。出来上がったものはまるで違ったものになるかもしれない。何が起ころうとムスリムのことはムスリムに、大国は引っ込めばいいのだ。

  • 02/15/12--16:33: 早春賦 (chan 1232690)
  • 春は名のみの風の寒さや
    谷の鶯歌は思えど
    時にあらずと声も立てず
    時にあらずと声も立てず
     
    むかしよく歌わせられた『早春賦』が思いだされる。本当に「春は名のみ」だ。少し大気が緩んできたのかなと思いきや、昨夜からまた寒い。やがて一番2番などと番号を付けて春が吹いてくるんだろう。気まぐれで気難しい春というものを相手に暮らすにはそれ相当の覚悟がいるようだ。
     
    『早春賦』の2番の歌詞は次のようになっている。
     
    氷解け去り葦は角ぐむ
    さては時ぞと思うあやにく
    今日も昨日も雪の空
    今日も昨日も雪の空
     
    この「角ぐむ」という言葉がいい。小枝の節に蕾ができてくるのを「角ぐむ」と言った。モクレンのつぼみが膨らんできた。ホケホケした猫の柔毛のような蕾だ。これなんかは「角ぐむ」というより「綿ぐむ」と言ったほうがいい。モクレンは真冬にもう蕾を付けている。「芽ぐむ」の手前に「角ぐむ」や「綿ぐむ」がある。
     
    この2番の歌詞の中で「さては時ぞと思うあやにく」という表現がじつにいい。「あやにく」は「あいにく」の古語だろう。こういう表現は今では聞かない。
     
    ところで、モクレンのつぼみを乾燥させて砕いてお茶にすると生薬になる。これは鼻づまりに効くそうだ。花粉が飛び交う前にそれを抑えるような働きをする蕾を自然界は準備してくれている。
     
    話が飛びそうなのでこれで終わる。

  • 02/16/12--16:47: 情勢論(36)-アフガンのアメリカ人 (chan 1232690)
  • アフガンは19世紀末から今日までずっと戦場だ。相手が変わっただけだ。イギリスやインドと戦っていたのがソ連になり、そしてアメリカになっただけの話だ。
     
    米国の政権はベトナム戦争の敗北をなんら教訓化していない。ベトナムのとき戦場はジャングルだった。このジャングルをすべてなくすために枯葉剤をまいた。この大がかりな環境破壊は畸形児を生み今日までその影響が続いている。それでも米国は敗北した。
     
    莫大な戦費と財政悪化に直面したニクソンは世にニクソン・ドクトリンといわれる政策を発表し、世界を驚愕させた。金ドル交換停止という政策と米中が手を組むという思い切った態度に出たのだ。
     
    同じようなことがもっと劣悪な形でアフガンで起ころうとしている。米国・NATO軍を中心とした「国際治安支援部隊」はマスコミの発表とは反対に、岩山にこもるタリバーンを攻めあぐねていた。アルカイダの親分は処分できてもタリバーンを壊滅させることはできない。
     
    財政難にある米国も英仏独も撤退計画を前倒しで実行しようとしている。撤退したら今のカルザイ政権はどうなるか?おそらくタリバーンが簡単に追い出すだろう。そうはさせないために米国はタリバーンと直接交渉を始めた。捕虜の即時釈放を彼らは求めている。米国は現政権に手を出さないことを条件にしているだろうが逆に政権に加わることを条件にしない限りタリバーンはこれを認めないだろう。外国軍の完全撤退と捕虜の即時釈放はタリバーンにとって譲れない。案の定、交渉は暗礁に乗り上げている。
     
    米国はアフガン軍30万をこれまで作り育ててきたが、金がかかる。もう出せない。それを日韓などの同盟国に出させようというのが米国の本音だ。これもベトナム戦争の後始末にそっくりだ。にわか作りでかき集めのアフガン軍はタリバーンの敵ではない。
     
    小泉が二つ返事で米国の対テロ戦争を支持してからこういった結末は見えていた。普天間もそうだが、できもしない約束をして、あげくのはてに国民を犠牲にして米国の尻拭いをやっているのがわが国だ。何と情けないことだ。

  • 02/17/12--19:47: 飯食う人々(36)-食わない快 (chan 1232690)
  • 野菜が高い。何のかんのといっても中国産の野菜は貧乏人にはありがたい。ニンニクやショウガは私には欠かせない。100円出せば手に入る。ニンニクなど味は青森産に比べると劣るが価格は3倍違う。それで、ニンニク100円、ショウガ100円、モヤシ29円、ブタタン148円を買う。
     
    ニンニク油にしてブタタンを炒めモヤシを入れてシャキシャキ感を失わないほど炒めるだけだ。醤油やコショウで味付けはするが余計なものは入れない。これで温かい飯といっしょに食えば満足である。
     
    春野菜も出回っているがみんな高い。寒波や大雪のせいだろう。だが、私の生活には大した影響はない。知足安分の境地に立てば食わないこともまた快である。時間がないのでここまでにする。

  • 02/18/12--16:10: 日米同盟はどこへ行く?(150)-嵩にかかる米国 (chan 1232690)
  • 米軍の普天間切り離し再編はグァムの重点化、すなわち、沖縄の重要性の相対的低下とみていいだろう。それは少数ながら沖縄の海兵隊の機動性を高め、東シナ海から南シナ海にかけて繰り返し巡回することで米軍のプレゼンスを大きくしようとするものであり、やがて中国包囲網を築くことを狙いとしている。これを早いうちにやっておかないと議会でグァム移転経費も認められないことになる。今なら規模縮小し日本に金を出させることができると思っている。
     
    この分離策で日本の負担が減るわけではない。グァム移転で日本側の費用負担が減るわけではないとバネッタ国防長官は議会の公聴会でも述べているし、岩国への一部移転についてはその費用の全額を日本に負担せよと言っている。
     
    しかも、普天間基地の拡充・修復の費用も負担せよ、と当たり前のように要求している。いつまでも辺野古移転の進展を見守るつもりは米国にはない。進展しないならしないで日本に費用を負担させながらより有益な米軍の展開を図ろうと考えている。そのため米国は先手を打ってこの再編案を日本にぶつけてきた。
     
    日本には財政悪化を理由に出費を断るだけの勇気がない。このままでは米国の要求をのまざるを得ないだろう。削ったとしてもわずかな額だろう。そんなことはわかっていたことだ。辺野古移転は必ず沖縄を説得して実行する、と野田が約束した時も米国はたいして信用していない。先手打って、あるいはすぐに実行できそうにない状況を理由に日本の費用負担による切り離し論はすでに出ていたであろう。
     
    多額に費用負担に加えて今までの「思いやり予算」を継続するなどということはあり得ないことだ。わが国の国家財政がもたない。他方、米国は国防予算削減で海外駐留米軍をスリム化せざるを得ない。海兵隊無用論まで米国内部で以前からすでに出ていた。しかし米国は転んでもただでは起きない。むしろ同盟国の負担で少数精鋭の軍の展開を図る絶好の機会ととらえているだろう。即戦力と機動性に富んだ海兵隊の存在意義を内外に見せつけるチャンスだととらえている。
     
    もう一つ指摘しておくべき重要なことがある。今でも沖縄海兵隊はタイ・フィリピン・オーアウトラリア訓練のため絶えず出かけている。アフガン撤兵で派遣されていた沖縄海兵隊の部隊が整理された結果どのくらいの規模の兵力が沖縄に残ることになるのか、いまだわからない。一部は岩国に移すと言っているが岩国は強く反対しているし政府も「難しい」と返事している。にもかかわらず米国はこれで大きく負担軽減になるじゃないかと迫る。
     
     
    おまけとして嘉手納基地以南の那覇軍港や牧港補給地区などの「先行返還」も浮上している。しかし、これもいつまでにという実現時期が不明確だ。米国が巧妙に仕掛けてきた今回の「分離負担軽減策」は一見すると沖縄にとっていいように見えるが現状とそれほどの差はない。
     
    我が国はこの機会に駐留米軍基地にたいして、日本の米軍基地に対する原則的立場を明確化する必要がある。戦後、それはなされて当然でありながらなされてこなかった。以前から私が主張しているように、非核三原則と同じように基地三原則を作って世界に向けてその立場を鮮明にすべきだ。それが日米協議の前提となる。そうでなければ、対等の日米同盟など絵に描いた餅にすぎない。

  • 02/19/12--18:28: 帰りたい帰れない (chan 1232690)
  • 以前、私は、除染は無意味な作業じゃないかという記事を書いた。いったん漏れ出して、今でも漏れている放射能の対策としては今でもそう思う。
     
    しかし、これを経済の面でみると大型の公共事業であることに間違いない。国が一兆円以上の金を出す。工事は地域を細分してその地域ごとに発注し入札で決める。地域の業者が応札する。大手ゼネコンも入札に応募する。
     
    大手ゼネコンは重機などの導入や放射能に対する安全管理で一日の長がある。しかし、彼らの参入には別の意図もあるようだ。それは、除染が繰り返し行われる可能性があること、対象に外れた一般家庭の自費での注文が今後増えるであろうこと、さらに、この経験からより有効な技術を開発しコストを下げることができるかもしれない、などの思惑があるからだろう。
     
    あるアンケート調査によれば除染効果ありと答えた人は地元住民の半分もいない。それでも、そんなことに国費を使うなとは言わない。それは一つにはこの大型公共事業で東北に金が落ちるからだろう。もうひとつ考えられるとすれば、これで少しは人々が戻ってきて学校が再開されたり、商店が復活すれば、除染が反復継続される限りそのうちに住めるようになるかもしれないという期待感だろう。

  • 02/20/12--16:53: 時局論(52)-思いつき八策 (chan 1232690)
  • 橋下の「船中八策」はなるほど面白い。首相公選・参院廃止・道州制導入など政治の制度根幹にかかわるものが大半だ。既成政党ではこれに賛成できない。それをあえて花火のように打ち上げるところがなかなかだ。議員の大半がついてこられないような方針をあえて掲げて国会を掃除するというのだから大した根性だと言ってもいい。
     
    ただこれは現実の政治方針を競い合う政策ではない。むしろ「革命」に近い。このような急進主義の方針は保守の思想ではない。かといって左翼急進主義者のものでもない。彼らならまず政権の打倒を掲げるはずだ。どちらかというとファシストの政策に近い。
     
    ここで八策のいちいちを論じるつもりはない。ただ、これを実現するためには憲法改正をしなければならない。これを承知で橋下はこういう提案をした。改憲アレルギーを払拭する意味もある。といった発言もしている。憲法なんかどんどん変えていけばいいんだ、という考え方が彼の中にはある。
     
    教委や市職労などに対する彼の態度を見ていると、あいてをじつになめきったものがある。歴史的なことについてじつに軽薄なものがある。だから私は「ファシスト小僧」と呼ぶんだが、小僧のファシストほど始末の悪いものはない。没落しつつある中産階級の不満と急進性を代表しているというべきか。
     
    ファシスト小僧を担いで一仕事しようと考える勢力が出てくるのも必然だ。確かに橋下自身は一仕事した。政界に大いに問題提起した。これは評価していい。また彼がどんな政治的主張をしても自由だ。批判はあってもとがめるようなことではない。ただ「みんなの党」や「公明党」などが橋下人気を利用しようとしている。彼らは橋下の政策に本気で賛同しているわけではない。
     
    このファシスト小僧はなかなか賢い。担がれているふりをして政界入りの道ならしをさせている。
     
    大衆も改革者としての橋下を支持しているのであって憲法改正まで必要な船中八策にこだわってそこに引っ張っていこうとするファシストと知れば必ず離反するだろう。そうなれば橋下人気にあやかろうとしたすべての政治勢力はみっともないことになる。
     

  • 02/21/12--18:16: 生命と場所(51)-生と死② (chan 1232690)
  • 生命は一般者である。生命という生物はいない。一般者である生命が自己を限定して個物化する。それが生物だ。生命は生物としてしか存在しない。
     
    これを哲学的に整理すると、生命という普遍は自己を特殊化して種となり、個物となる。生物はすべて個物である。個物は種の形式にしたがって生きる。
     
    たとえば、ヒトは身体と意識を持って生まれる。それは空間的にして時間的な存在として生まれることである。そこに既に制約がある。富士山ほどの背の高さをもっていたりあらゆる過去を記憶し将来を見通せる存在だったりしたらきっと世界はまったく違って見えただろう。
     
    一般者である流動する生命が自己を限定して生物として生まれるということがそもそも自己矛盾なのだ。生命が無限の働きであり、なおかつ、自己充足したものであったら、それは自己を維持する環境まで自分の中にかかえているだろう。生物という空間的にして時間的な場所をえるということがすでに自己矛盾である。
     
    空間的で時間的な存在であるということは死すべきものだということだ。個物としての生物は生きるような仕組みをもっている、死ぬような仕組みは持っていないが必ず死ぬ。物質的な存在である限り必ず死ぬ。それは個として死に普遍(類)として生きることだ。
     
     

  • 02/22/12--17:05: 政治的数字というもの (chan 1232690)
  • 帰還の被曝量をめぐっては議論のあるところだ。「20ミリシーベルトで人が住めるようになるということだ」と細野原発相は言った。それを超える人が避難区域にいるが、それを超えたら住めないというつもりだろうか。「住めないのに住んでいる」というのだろうか。
     
    外部被曝量のリスクは確率論的にしか言えない。ほんの少しでもリスクがないとは言えないし20を超えたからと言って30年後にがんを発症するとは限らない。チェルノブイリ事故でも立入禁止区域にあえて帰還する人々がいることは確かだ。結局は個人の自由意思に基づく判断の問題になる。
    10と言おうが2030と言おうが間違いとも正しいとも判断する科学的な根拠はない。確率論的にリスクが次第に高くなりますからこの辺にしますよ、といった政治的判断にすぎない。
     
    どうしてそんな曖昧な基準を作るのか?誰しもそう思う。必要に迫られて設定するにすぎない。いつ頃までに20になるように除染を急ぎましょう、などといった一つの政治目標になる。また社会的には何か民事上の争いが起こった場合の判断の基準ができる。それで設定しているにすぎない。
     
    そもそも避難区域の設定そのものがあいまいなものだ。原発から20km圏内を警戒区域とし30km圏内を緊急時避難準備区域とする、などという決め方ほどあいまいなものはなかろう。それで補償も違ってくるし、国の施策も違ってくる。境界線上にある住民こそ迷惑千万だ。
     
    しかし、社会というものがそういうあいまいな基準を平気で作り、それが独り歩きして人の生活を脅かしたり、思わぬ「幸運」をもたらしたりするものだと思えば何でもない。天変地異によってより一層そのことが見えてくる。
     
    権力は一度決めた数字を押し通してそれを生活の中で現実化するしかないと思っている。そして人々はやがて忘却することでこれに成功する。

  • 02/23/12--16:52: 労働と教育 (chan 1232690)
  • 橋下大阪市長はテレビで名を売って政界に出てきた人間だ。自分と同じ弁護士を「顧問」という肩書で市職員の調査をやらせている。業務用メールをチェックしたりしている。橋下は「市役所の組合、政治活動の問題を徹底調査することが市民の求めだ」と言う。また、市は「内部通報があった」からと言っている。具体的な被害が特定されていないのに職員の政治活動の調査を秘密裏にすること自体が違法だ。しかも、これを、民意をまったく代表しない自分と親しい弁護士をにやらせることも違法だ。
     
    市の職員アンケートも同じだ。府労委は「不当労働行為のおそれがある」ととして調査の中断を勧告した。彼は弁護士出身だが労働法に詳しくない。職員たちの心を掌握する政治的力量もない。そんな締め付けをやって人がよく働くようにでもなると思っているのだろうか。
     
    このファシスト小僧がやっているもう一つの間違いが教育法への無知と間違った教育観だ。今の教育委員会ではだめだから教育方針は首長が決める、それに従わない教員は辞めさせる方向で教育行政をやる、これが彼の考え方だ。「日の丸君が代」に従順じゃない教員は狙い撃ちされるだろう。実際そういう案を条例化しようとしてきた男だ。
     
    教育委員会は労働法と同じで、戦後民主化で米国の勧告で作られたものだ。民意を反映させるための公選制や、ある程度の予算権、人事権を持っていたがそれは次々と失われた。今では教科書採択のときにだけ話題になるほどの名誉職のような存在になっている。これが形骸化しているのは言うまでもない。
     
    しかし、そうさせてきたのは我々である。戦後民主教育の限界とともに語られなければならない問題だ。首長が教育方針を決めるようにすればいいという問題じゃない。
     
    府が条例を制定しても地方自治法や地方教育行政法があるから条例をその上に持ってくることはできない。その困難さを橋下は知っている。だから都構想をぶち上げて市長に転身するようなこともやった。この実現も容易じゃないことが分かっているから今度は「道州制」のラッパを吹き始めた。次々に問題を拡大する。結局、首長では限度があるから「維新の会」を一大勢力にして国政に転じようというわけだ。
     
    しかしこの言い出しっぺの無責任さに多くの人は気付かない。何かやってくれる人だと思っている。ここまで政治の無力を見せつけられるとファシズム待望論が出てきて不思議じゃない。橋下のようなファシスト小僧は出るべくして出てきたのだ。
     
    労働者の権利がこんなファシスト小僧どもに侵害されるようなことがあってはならない。教育がファシスト小僧どもに歪められてはならない。